いよいよ、私が本格的に絵画モデルを始めるきっかけとなる出来事が起こる。
大学2年の10月くらいだったと思う。
油彩で裸婦を描く授業があり、モデルが来た。
恐ろしく均整のとれた、日本人離れしたプロポーションの女性で、年齢は30手前、といった風情だった。
彼女は結構頻繁に授業に来てくれるモデルさんだった。
彼女は結構頻繁に授業に来てくれるモデルさんだった。
長い髪を垂らし、ゆったりとソファに座るというだけの実にリラックスしたポーズで、非常に描きやすくいい具合に絵の具が乗り、私はいつになくノリノリで制作していた。
驚くべきことに、生徒は私1人だった。他の生徒は絵を描くより他に楽しいことがあったようだ。
モデルと1対1で集中して制作に取り組んだ。
2時間の授業が週1回、1か月間に及んだが制作が終わらなかったのでもう2週ほど伸ばして下さいと教授に頼み込んだらOKが出、翌週もモデルさんが来てくれた。
ポーズが終わり、10分の休憩に入った。
モデルはガウンを羽織りストーブにあたっている。
生徒は相変わらず私1人だ。だからなのか、お互いなんとなく会話が始まった。
モデルさんと言葉を交わしたのはこれが初めてだ。
今思えば当時超人見知りの私がよくモデルなどという得体の知れない存在と話などできたものだ、と不思議でならない。1対1という状況がそうさせたのだろうか。
私「モデルって楽しそうですねぇ」
モデル「楽しいわよー。私がモデル事務所の社長してるんだけどね」
私「ええっ∑(゚Д゚)」
と会話は思わぬ方向に進んだ。まさかこの女性がモデル事務所の社長とは。
そして彼女がニコニコしながら
「やるぅ?」
と聞いてきたではないか。
謎めいたおもしろそうな世界の扉ががいきなり目の前で「ばっ!!!」と開いたのだ。
しかも「やるぅ?」と随分フランクに開いたではないか。
こんなに軽く開く扉だったとは露ほども思わなかった。
あまりに軽いノリで来てくれたのでかえって警戒心は起こらなかった。
私「あ…はい…やってみます…」
モデル「じゃあ、電話番号教えて〜」
小学6年の時の将来の夢は「漫画家かデザイナー」好きな歌手は「マドンナ」 。
正直言って絵画モデルなる普通じゃない世界にこんなにすんなり入っていく展開が人生に待っていようとは、思ってもみなかったね、幼い頃の自分。
社長は清田珠子さんといった。
私はたまさんと呼ぶことにした。
彼女も緑ケ丘高校と芸短(大分県立芸術文化短期大学の略称。緑ケ丘高校の付属の大学である。私が言う大学とはここのことだ。今更ながらカミングアウトするよ、もう。いつまでも伏せていては何かやりづらいのでね)の同窓生で、私より9歳ほど年上だった。
当時から優秀で、デキる女だったようだ。
それから2、3日して、思いのほかすぐに電話で仕事が入りだした。
当時はまだ携帯などなく、家の電話に連絡が入る。
場所と時間をたまさんが言い、私がそれをメモするという今となっては懐かしい方法だった。
(登場人物は全て仮名にしてあります。)