絵画モデルはやめられない

20年間、絵画モデルをしていました。謎に満ちた世界の体験を余すことなく綴っています。

2021年06月

ミスユニバースが、ランウェイ上をきらびやかなドレスを翻しながら美しく歩いている途中、スカートがずり落ちてしまい、丸見えになった下着が、中学1年生の腐女子が履いているようなお腹まで隠れる綿パンツだったら、見てはいけないものを見てこちらも恥ずかしくなるし、ひどくがっかりするが、そんな出来事があった。



大分市郊外のとある町でモデルの仕事が入った。

遠方の町で2時間のコスチュームモデルという、仕事としては一番利ざやの薄い類のものだったが,

直々のご指名なので断ることができなかった。

初めての教室だったので、一体誰が指名してくれたのか不思議だったが、教室に着くと馴染みのデッサン教室の生徒の女性がいて、彼女が指名してくれたことが分かった。

彼女はリーダーシップがあり、モデルに対しても常に心配りがあり、ちょっと尊敬できるカッコいいおばちゃんだった。


大きなフェイクの宝石が沢山アップリケしてある、一体どこで購入したのかわからない奇妙なセーターを着ている主婦が、教室の中心で皆に囲まれながら、旦那や息子の愚痴を幼稚園の女の子みたいな騒がしさでしゃべっている。周りの主婦は彼女を取り囲んで、くだらない愚痴を楽しそうに聞いており、変なセーターや、なんだかんだ言って大して苦労していないことをうかがわせる彼女の肌の艶やかさをを褒めちぎったりしている。


宗教室に集う文部省推薦文化上級マダムたちから滲み出る教養の豊かさ、上品さと比べると、そこそこ金を持て余しただけの退屈な主婦で溢れかえったその日の教室は、まるで幼稚な女子校のようだった。



そうこうしていたら講師の高山先生(仮名)が入ってきた。

大分では有名な人で、人生油絵ひとすじといった風情の人であ

る。


「あー、この人が有名な高山先生かー!」と少しテンションが上がる。



しかしながら、先生は、「モデルさんが来た」と気づいたのに、挨拶が一度もなかった。
おかしいな、授業の終わりに何か言ってくるのかな、と思ったが何も話しかけて来なかった。


毎週水曜日に授業がある1ヶ月の間、とうとう最後まで話しかけてくることもなかった。

ただただ不思議なものでも眺めるかのように、遠くから遠慮がちにモデルを観察しているだけで、そこらへんのおとなしい男子生徒となにも変わらなかった。


どうやら、

「芸術家ですから人見知りなんです、芸術家だからそこらへん許してくれるやろ、有名な俺って挨拶も出来なくていかにも芸術家っぽいやろ」的なスタンスでいる様に見え、そんな自分の芸術家イメージに酔っている先生の勘違いぶりに対して随分しらじらとした気持ちになった。


芸術家ぶるよりも先に挨拶くらいしろって思う。


大分中、ひいては九州中のありとあらゆる教室に行ったが、教室の講師ともいうべき人は必ずモデルに挨拶をし、皆に「今日のモデルさん」と言って紹介してくれた。

休み時間には「寒くないですか」とか「コーヒーどうぞ」とか気を使ってくださった。

そうするのが自然だろうし、単純に仕事も進まないので、言わずもがなの一般常識ってやつだろう。


今まで100人近くもの数多くの先生たちとお仕事をしてきたが、講師という立場で、1ヶ月もの間モデルと一言も喋らない先生は、もちろん一人もいなかった。


芸術家ぶることだけに専念して目の前の人に挨拶もしようとしない、ひいては挨拶をしないことが芸術家であると勘違いしている高山先生に対しては一気に気持ちが冷めてしまった。


これから先生の絵を見ても私の瞳は全く輝かないだろうと思うと残念だった。


✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

※登場人物は全て実在しますが、プライバシーを考えて仮名にしてあります。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎


私の普段のブログはこちら↓遊びに来てね
日々、花咲くパレット

 ポチッと押してください↓
生活・文化ランキング


宗教室の生徒はブルジョワばかりだと先日のブログでも書いた。


その中で竹野さんは60代前半くらいの、チャーミングな可愛らしい外見の女性だった。

風貌が宮崎美子によく似ており、雰囲気もあのままだった。

いかにも気が弱く、人が良さそうで、デッサン会後のお茶会においては、自信満々にザァマス言葉で発言するおばさまたちの中ではいつも低層からおどおどと発言していた。


モデルという立場上、私もお茶会に半ば強制参加になるわけで、並み居るザァマス夫人達の堂々たる日常体験やら社会に対する斬新な意見、などを圧倒されながら聞く羽目になる。

なにもかもレベルが高いので下手に会話に加わることもできない。


そんな中、同じように輪に入れず、気の弱い優しい笑顔でおどおどと小さくかしこまっているだけの竹野さんの存在は私にとって救いであった。

彼女は、何か発言した後、親切にも必ず私に話題を振ってくれた。振られれば私もここぞとばかりに喋ることが出来るのだった。そして私をモデルに毎回指名してくれたりと、ありがたい人であった。


竹野さんの話をまとめると


旦那さんは中学校の校長先生らしく、広大な敷地に自分ちと姑の家を建てているそうだ。

同じ屋根の下に女2人は喧嘩の元だから、いうことらしい。

しかも家族で1年に2回必ず海外旅行をするらしく、モロッコだかアルジェリアだか、デジカメに撮った写真を沢山見せてくれた。

おまけに武蔵野美術大学を卒業しているらしい。

しかも年代が年代だ。
60歳代と言うご年齢で、めちゃくちゃに金のかかる私学の美大を出ている事を考えると、実家も裕福な、生まれながらのお嬢様なのだろう。



私の父が死んだ時も、慰めの長いお手紙をよこして下さるような本当に優しい方であった。



その時期、私は、モデルをしながら沢山のアルバイトをかけもちしながらアート活動をしていた。

貧乏が故に毎日必死だった。



とある土曜日。


私は、大分の玖珠のサービスエリアで、外のテントでお菓子を売っていた。


当時携わっていた様々なバイトはどれも絵を描く技能を生かしたもので、短時間で低労働、高賃金なものばかりだったが、この別府の某お菓子屋さんのバイトだけは非常にきつかった。
保証もなく、純粋に肉体労働そのもので、ここで働いている人は、離婚した人とか、婚期を完全に逃した人とか、いつまでも絶対に結婚できないだろう的な人とか、旦那が絶望的に低収入とか、不幸せな人ばかりだった。


その日も早朝6時から別府の事務所に出勤し、先輩の小さな軽自動車に40分揺られて玖珠のSAにつき、たくましい男含めた四人がかりででかいテントを張って机を出し、お菓子を並べて、座ることも許されずにせわしなく働いていた。


10時頃、高速道路から、とんでもなく大きなベンツが入ってきた。沢山の車が入ってくるとはいえ、その中でも随分目立つ高級ぶりだったのでなんとはなしに眺めていた。

停車した車内から、3人ほど出てきた。


60
代くらいの夫婦と、
軽く知的障害があるように見える30代くらいの娘さんだった。

午前中の太陽の下、遠目には誰だかよくわからなかったが、段々と近づいてくると、それは竹野さん一家であった。


私は驚くと同時に、みてはいけないものを見てしまった気がした。

そもそも公務員であるはずの中学の校長がバカでかいベンツに乗っているという事実は気分のいいものではなかった。


そして、普段はあんなに低姿勢な竹野さんのイメージとはあまりにかけはなれた光景に、嫉妬の混じった不快感を感じた。


しかも自分はいい年こいて重労働低賃金の見本みたいな事をさせられており、お互いの状況の正反対ぶりに、嫉妬心がざわざわと足元から私を覆い尽くした。


この状態で竹野さんに挨拶をするのは絶対に嫌だった。



3人が、テントの方に近づいてきた。私はテントの奥深くに隠れ、絶対に見つからないようにしながらも目だけは冷静に彼らを観察していた。

陽光に照らされ、ニコニコしながらテントの外にあるアイスを眺めたりした後、幸い内に入って買い物をすることなく、一家はそのままSAのコンビニに入っていった。


その後、宗先生の死去により、教室はなくなり、ベンツ事件以降竹野さんと顔を合わせることがなくなった。



しばらくして、街中の某文化施設でモデルの仕事が入った。コスチュームで、短時間低賃金の、あまり気乗りがしない仕事だった。

2人のモデルが入るとのことで、もう1人はとても美しい混血の女の子だった。

生徒の取り合いが面倒だな、絶対負けるなと思っていた。


教室に入ると思いのほかぎっしり生徒がはいっており、先生は年寄りで、授業中ずっと蚊が飛んでいるような声で鼻歌を歌うので非常にイライラした。


ふと、生徒の中に竹野さんを見つけた。

生徒がお気に入りのモデルの方へ移動する中で、彼女は私を選んで描いて下さった。


しきりに嬉しそうに私と目を合わすようなそぶりをしてくださったが、意地の悪い事に私はそれを意図的に無視をしてしまった。


休み時間なども、久しぶり、という挨拶から始まって会話がとめどなくあふれるのが自然なのに、私はそれを不自然に避けた。



それきり、彼女と会うことは無くなった。



あの時、玖珠のSAで、プライドなどを捨て去って挨拶をしていたら状況は変わっていたかもしれない。

ベンツは車検の代車だったかもしれないし、娘さんの病状が非常に困難で福岡かどこかの精神病院へ行くところだったなど、嫉妬などする必要もないような状況が彼女の口から語られていたかもしれない。


今となっては、お金があることがイコール幸せなのではないということがよくわかる。

ベンツに乗ろうがボロボロの軽に乗ろうが幸せには全く関係ないということが嫌という程分かる。

私自身、年収が100万円にも満たないような貧乏でも沢山の仕事をしながらアート活動に励み、沢山の人達に囲まれていた独身時代が最高に楽しかったものだ。



当時の浅い見識による嫉妬心によってあの優しい竹野さんとの交流を自ら絶ってしまったことが悔やまれる。


✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

※登場人物は全て実在しますが、プライバシーを考えて仮名にしてあります。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎


私の普段のブログはこちら↓遊びに来てね
日々、花咲くパレット

 ポチッと押してください↓
生活・文化ランキング


このページのトップヘ