絵画モデルはやめられない

20年間、絵画モデルをしていました。謎に満ちた世界の体験を余すことなく綴っています。

カテゴリ: 社長のたまさん

前回、タマさんから受けたひどい扱いを書き殴ったあと、驚くことに書いた内容と似たようなことが先日私の周りで勃発した。
薄気味悪くなって、全文削除させていただいた。
1回読んで面白かったからもう一回読もうと楽しみにしていた人、ごめんだよ。
私はこのようなことがよくある。小説を趣味で書いたりすることがあるのだが、必ず似たようなことが後日起こるのだ。映画を観たりした後も、似たようなことが身の回りで起こったりすることが時折あるので、うかうか観れないのだ。

 
あまりこれからは恐ろしい内容は書いていかないほうがいいのかな。

怖いので、次回からは割と穏やかな内容で攻めていくのでお楽しみに! 





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ロケが終わり、帰りの車中、実にいろんな話をした。

やはりタマさんの話でエキサイトした。エキサイトといっても怒りの方のエキサイトである。

要するに悪口だ。

話が前後してしまうが、私はこのロケの直前に、タマさんから随分ひどい扱いを受けたことがあった。

かなり大きな仕事が入ったのだが、私はどうも保険だったみたいで、本命のモデルが見つかった途端その仕事をそのモデルにまわされたということがあった。

その事は後日詳しく書く。

それをサチエちゃんに話すと、彼女は拳を握りしめ、瞳の奥が怒りの炎でメラメラと燃えていた。

「許せない許せないわ!私もあるのよ!」と彼女はいろんなエピソードを話してくれた。

サチエちゃんはモデル歴が長かったので、マネージャーめいたことをさせられたことがあったらしい。

ある日、タマさんから新人のモデルの面接を頼まれたそうだ。

場所は、どこそこの公園と指示されたので、小さな喫茶店みたいな建物がきっとその公園内にあって、そこで面接をするのだろうと思っていた。

そして言われた公園に行くと、ブランコとかシーソーとかがある、団地の谷間にあるような普通の公園だったそうだ。すると、そこに面接のモデルがやってきた。

おかしいなと思い、サチエちゃんはタマさんに電話をした。

「この公園の、一体どこで面接すればいいのかしらぁ?」

「えー?ベンチベンチ。公園にベンチあるでしょう?そこでやってもらえる?」

と言われたそうだ。


そんなことが何回か重なってサチエちゃんはタマさんに対して怒りを募らせていたらしい。


タマさんは必要最低限の情報しか言わない。

「明日久留米のエールピア大野で10時から入ってください」とこれだけだ。

場所や交通機関の確認は全て自分でする。

まあ別にいいのだが

タマさんは「出口」「入口」しか書いていないフランスの地下鉄みたいだというと、サチエちゃんは大笑いしていた。思いの外ウケている、と思った。




続く


登場人物は実在の存在ですが、プライバシー保護のため仮名にしてあります。



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たまさんはまだモデル事務所をしているのかな、と思いながら電話帳で調べて見た。
「アートモデル研究所」とあり、まだやっていることがわかり、ホッとした。

早速電話をかけてみる。
たまさんの優しい女性的な声は6年前と全く変わらない。

「佐竹ミャーコさん…?うちでやってたの…。ちょっと覚えてないわねえ」と言われたが後日「芸短の生徒さんだったミャーコさんね!思い出しました!」とメールが来た。
経験があるため、試用期間なしで働かせてもらえることになった。

ヌードはできるかと聞かれたが、6年もの間、普通の社会人だった感覚からか、それはできない、と応えておいた。

早速メールで仕事がたくさん入った。(当時はまだスマホなど影も形もなく、ガラケーであった。)

6年前は全て家の電話で受け答えしていたので、時代の流れを感じざるをえなかった。

たまさんからメールが来ると、嬉しくて仕方がなかった。
「〇〇教室 10:00-12:00 コスチューム 入れますか?」といった具合のメールに、私は「入れます!」なり「入れません」なり応える。

これだけだ。
交通費はもちろん全額支給なので、あとは勝手に自分で地図で調べて行ってくれ、というフランスの地下鉄的シンプル極まりないシステムだ。
(仏の地下鉄は出口と入口の文字しか表示されていない)



ーーーー続くーーーー


(登場人物は実在の人物ですが、全て仮名にしてあります。)





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「紹介用のポートレイト写真を撮りたいんだけど」とタマさんから電話があった。

モデルを指名したい時の、写真台帳らしきものを作成するという。

「水着を着てほしいから準備してくれる?」とこともなげに言う。
スクール水着しか持っていなかったため、同級生にハイレグカットのお洒落な水着を拝借した。

数日後、大学の授業が終わった後、大分の繁華街へバイクで向かった。待ち合わせ場所のトキハデパートの裏通りに真っ赤なスポーツカーが止まっていて、隣にセクシー&ワイルドの峰不二子みたいなタマさんがサングラスをかけてタバコを吸って待っている。

授業にモデルで来ている時の、文部省推薦的マジメな雰囲気とは全く違うため少々驚いた。

今思えば、当時のタマさんは28歳だ。
タバコをくゆらせながら、「なめられたら終わりよ」とよく言っていた。当時から、かなり突っ張っていたのかもしれない。

車にはもう1人モデルが乗っていた。私と同じく、19か20歳くらいで、少々派手な顔立ちで真っ赤な口紅をひいていて、高い声で何かよくしゃべっていた。

撮影場所は大分の中心街から少し離れた西大分というところにあるスタジオだった。
着替え室で着替えながら、私みたいな普通の外見の女がこんな事を何故しているのか、やはり不思議だった。

着替え部屋から出ると、もう一人のモデルも着替え終わっていたが、真っ赤なハイヒールが異様にぶかぶかだったのを思い出す。
彼女もなんだか不安そうな様子であった。向こうも私を見て同じように思っただろう。なにしろいきなり何の心の準備もなしにこういうところに来ている。

事前に、細かく説明してくることがないタマさんは、「入り口」と「出口」しか書いていないフランスの地下鉄のようだとモデル仲間が言っていた。

カメラの前で真っ白な明るい光を浴びて水着で立ってポーズをとらされている私。
いや、本当に不思議だ。人生ってどういう展開になってるのかわからない。

タマさんが、腕組みをして私を見て、近づいてきて髪の毛を触ったり、頬紅を引いたり、口紅を引いてくれたりしている。
そして何気なく私の背中に回った後、「これは何?」と聞いてきた。
「??」と思ってみると、大きく背中が開いた水着の、ハイレグカットのお尻の部分から、パンツが大きくはみ出ていた。

あちゃぁ、ほれ見たことか、彼氏もいない当時19歳の私はこういう女であった。

慌ててパンツを水着にグイグイとなおしこんだ。

しかしタマさんはいつでもどんな時でも声色のトーンが変わらない。

「水着持ってきてくれる?」も「なめられたら終わりよ」も「これは何?」も全て同じトーンのタバコくゆらせながらの物静かなセクシーボイスだ。

水着からだらしなく伸びきったお子ちゃま用真っ白パンツが出ているのを見てしまったら、普通の人だったら慌てふためく声色になるだろう。


腰に手を添えて、首をかしげてニコッと笑うポーズをとってクダサァイ、とカメラマンの男性が言うので、言われたままぎこちなくそうする。
「笑顔がかたいねぇー、タマさんの方見て、バカやろう!って思ってゴラーン」などと冗談を言ってくれて、ようやく笑顔になれた。



撮影が終わって数日後、教室にいたら、担任の教授の1人である山下先生が私に話しかけてきた。「今日はいい天気だね。今回の君の絵画のいい部分は」と話し、いきなりそのまま彼は顔を真っ赤にし、あはははと笑いながらどこかに逃げて行った。
そもそも美術科の教授だからユニークな人間も多いのはわかるが、これは明らかに何かおかしい。

あれは一体何だったのだろうか、もしかしたら授業用人物モデルを指名するときに私のポートレイトを見たのだろうか?

いまだに私の人生のちょっとした謎だ。




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いよいよ、私が本格的に絵画モデルを始めるきっかけとなる出来事が起こる。

大学2年の10月くらいだったと思う。

油彩で裸婦を描く授業があり、モデルが来た。
恐ろしく均整のとれた、日本人離れしたプロポーションの女性で、年齢は30手前、といった風情だった。
彼女は結構頻繁に授業に来てくれるモデルさんだった。 

長い髪を垂らし、ゆったりとソファに座るというだけの実にリラックスしたポーズで、非常に描きやすくいい具合に絵の具が乗り、私はいつになくノリノリで制作していた。

驚くべきことに、生徒は私1人だった。他の生徒は絵を描くより他に楽しいことがあったようだ。

モデルと1対1で集中して制作に取り組んだ。
2時間の授業が週1回、1か月間に及んだが制作が終わらなかったのでもう2週ほど伸ばして下さいと教授に頼み込んだらOKが出、翌週もモデルさんが来てくれた。

ポーズが終わり、10分の休憩に入った。

モデルはガウンを羽織りストーブにあたっている。

生徒は相変わらず私1人だ。だからなのか、お互いなんとなく会話が始まった。

モデルさんと言葉を交わしたのはこれが初めてだ。

今思えば当時超人見知りの私がよくモデルなどという得体の知れない存在と話などできたものだ、と不思議でならない。1対1という状況がそうさせたのだろうか。

私「モデルって楽しそうですねぇ」
モデル「楽しいわよー。私がモデル事務所の社長してるんだけどね」
私「ええっ∑(゚Д゚)」

と会話は思わぬ方向に進んだ。まさかこの女性がモデル事務所の社長とは。
そして彼女がニコニコしながら
「やるぅ?」
と聞いてきたではないか。

謎めいたおもしろそうな世界の扉ががいきなり目の前で「ばっ!!!」と開いたのだ。

しかも「やるぅ?」と随分フランクに開いたではないか。
こんなに軽く開く扉だったとは露ほども思わなかった。

あまりに軽いノリで来てくれたのでかえって警戒心は起こらなかった。

私「あ…はい…やってみます…」
モデル「じゃあ、電話番号教えて〜」

小学6年の時の将来の夢は「漫画家かデザイナー」好きな歌手は「マドンナ」 。
正直言って絵画モデルなる普通じゃない世界にこんなにすんなり入っていく展開が人生に待っていようとは、思ってもみなかったね、幼い頃の自分。

社長は清田珠子さんといった。

私はたまさんと呼ぶことにした。

彼女も緑ケ丘高校と芸短(大分県立芸術文化短期大学の略称。緑ケ丘高校の付属の大学である。私が言う大学とはここのことだ。今更ながらカミングアウトするよ、もう。いつまでも伏せていては何かやりづらいのでね)の同窓生で、私より9歳ほど年上だった。
当時から優秀で、デキる女だったようだ。

それから2、3日して、思いのほかすぐに電話で仕事が入りだした。
 
当時はまだ携帯などなく、家の電話に連絡が入る。
場所と時間をたまさんが言い、私がそれをメモするという今となっては懐かしい方法だった。

(登場人物は全て仮名にしてあります。)
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