タマさんから、「ヌードモデルは出来る?」と聞かれたので、当時19歳の学生だった私は「絶対無理です!!」と答えた。
(登場人物は実在の人物ですが、全て仮名にしてあります。)
学生同士が「〇〇先輩、脱いだんだって」とヒソヒソ声でしゃべっていたのを聞いたことがあり、自分がそんな風に噂されるのは嫌だった。
しかし
「やってくれると助かるんだけどなぁ〜。給料いいわよぉ」とタマさんが電話の向こうでニコニコしながら言う。
今までブログで述べてきたように、通常では決して開くことのない扉を、「入ってみなぁい?うふふ💗」と、常に私の前でいとも気軽に開いて手招きしてくれるタマさんである。
「あ…はいぃ、じゃあちょっとやってみますぅ」とまたもや私は彼女の優しい手招きに負けてしまった。
え、そんなに簡単に負けるのか?と言われそうだが、私は人前で裸になることにそこまで言うほど抵抗がなかったということなのだろう。
顔には大して自信がなかったが、風呂上りに鏡に映った体については、多少自信があった。
なぜ自信がある方を隠して自信がない方を晒しながら生きているのだろうと思うこともあったからその反動もあってできたのかもしれない。
別府大学で、早速ヌードモデルの仕事が入った。
20年以上も前の話なので詳しく覚えてないのだが、おそらくこれが初めてのヌードモデルの仕事だったかと思う。
ヌードは夜の教室が多かったが、私がまだ学生だったので、昼間の授業の分に仕事を入れてくれた。
大分から別府大学まで、バイクで20キロほど走った。もちろんあの別大国道も突っ切ったので、今思えば信じられない話だ。
それはほとんど高速みたいな道路で、7キロほどもあり、すぐそばをダンプカーがバンバン走る。
そうやって別府大学に着いた。
「浜田研究室」にノックして入ると、50代位の、背が高くてハンサムな浜田教授がいて、「モデルさん?今日はよろしくね」と言ってコーヒーを入れてくれ、いろんな世間話をしていた。
すると、私より3、4歳くらい年上の若い副手(教授のアシスタント)の男の子が入ってきた。
天然パーマがかかっていて、目が二重でクリクリしていて、顔は二枚目半、クラスのやんちゃ担当だけど少しモテる、といった雰囲気だ。
「わー、モデルさんですかー、わぁー」と興味深そうに色々質問をしてくる。
私も、クラスの男友達と話すような気持ちで話に乗っていた。
彼が「芸短の文化祭はいつですか?」と聞いてきたので、正確な日にちなど覚えてない、というと、「ええっ?自分の大学の文化祭の日にちも覚えてないんですか?」と大げさに驚くので、「それが何かおかしいですかね?」と少々強く言い返したところ、その男は「おおっ、この人なんか怖いですよ〜!怖い怖い!」という。
そばで聞いていた浜田教授が、「おいおい、このモデルさんは真面目に勉強ばかりしてるから、文化祭の日にちも覚えてないんだよ、つまり優秀なヒトだから馬鹿にしちゃダメだぞう」とユーモアで助け舟を出してくれた。
そうこうしてるうちに授業の時間が迫ってきたので、控室で服を脱ぎ、バスローブを引っ掛けて授業の行われる教室に入っていった。
生徒さんたちに挨拶をして、浜田教授が「このモデルさんも絵を描いてらっしゃる方なので、いいポーズを取ってくれると思います云々」などとしゃべっていると、さっきの副手の男が、教室にそっと入ってきた。
裸にバスローブを引っ掛けただけの私を、好奇に満ちた紅潮した眼差しで見ている。
「さっきまで話していた女の子が…」として見られていることがとてつもなく恥ずかしかった。
おまけに軽い口喧嘩っぽいやりとりまでしてしまっているし。
あーあ、こういうこともあるから、モデルは控室でもツンとすましていなければいけないのだなあ、と思う。初めてがゆえに控室での振る舞い方さえ分からなかった。
そのあと、バスローブをはらりと脱いでモデルの仕事に入るわけだが、脱いでいる時はあまり生徒さんの顔は見ない(というか、当時は恥ずかしくて見ることができなかった)ので、副手さんがどんな表情だったかは知らない。
ヌード初日は、このように、ただただ恥ずかしかったが、それでは仕事にならないので、以降私は恥ずかしさなどかなぐり捨ててヌードモデルの仕事に取り組むようになる。
(登場人物は実在の人物ですが、全て仮名にしてあります。)